数学の素数問題に涙することはない! この記事を読んだだけで、まるで子どもたちの未来が危ぶまれているように感じるが、本当だろうか?数学の問題で「正答率が低い」と指摘されても、それはただの統計データに過ぎない。何が大事かって?教育の真の目的は、数字を選ぶことではなく、思考力の育成だと思うんだが、それは無視されているようだ。
「生きる力」が重視されすぎて、知識が足りないと言うけれど、いつから知識の欠如が問題になったんだ。考える力があれば、知識はあとからついてくるんじゃないか?そう考えると、学力テストで見えた「足りなさ」はむしろ、思考力を育てるチャンスだ。
知識詰め込みが救世主だと信じる教育界は、単なる建設業者みたいなもんだ。そもそも必要なのは、地頭と知識のバランスで、どちらか一方に偏っても未来は暗いとしか言えない。だから、知識を詰め込むのは忘れて、もっと思考力を磨くことに力を注いだほうがいいんじゃない?
思考力を育てる場としての教育を提供することができないなら、それは学校の責任だ。思考力を持つことができない子供たちを育てることが、未来への警鐘となり得るのだ。この結果で何が示されるかって?そう、それぞれが考えるべきことがあると分かったんだ。
考える力こそ、未来を切り開く鍵であることを忘れるな。果たして、その鍵を手にするのは誰か?
ネットからのコメント
1、個人的には「1は素数ではない」みたいな捻りはこの手のテストにはいらないと思うんだよねわかってても間違えそうだし、もっと言うと1って究極の素数だとさえ思うし4や9を間違えて挙げちゃう子と、1を挙げちゃう子はまったく違う
2、みんなが平均を目指す教育は終わりで、これからは適性に合わせた教育がされるべき。才能がある人が平均的な勉強をさせられてるのも悲惨だし、出来ない子が平均の勉強を強制されるのも悲惨。クラス編成は、3段階くらいに分けるべき。
3、1と自分の数という定義を覚えていたら、1は1と自分の1で割れるので素数と答えるのでは?1と自分の数は別の数であるというところまで知っていないと間違えてしまう。だから正答率はそのくらいでいいんじゃないかと思う。さらに記述問題の無解答率が高いのは時間がないから、回答できる問題数を増やすために捨てるという合理的な選択から。これらを学力の問題として語るのは違うと思う。
4、>> 1を選んだ方もいらっしゃるかもしれませんが、1は1でしか割ることができず、「1と自分の数」の2つの数で割れないため、素数の条件を満たしません。本文より引用。これは違うんじゃないのか?2つの数でなんて言葉はどこにも出てきていない。1を重複して考えていいかどうかは「1と自分自身の数でしか」という文面から結論を導き出すことはできないのではないかと思う。
1を素数とは考えないのは定義ではないのか?それとも「1と自分自身の数でしか」という文面から論理的に導き出せるものなのか?そうだとするのなら数学に詳しい人教えて欲しいです。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/acdfad8e012f748c9e5636044ee869506232abde,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]