最近のトライアスロン大会を見て思いましたが、これは一体誰のために開催されているのでしょうか?60歳代の女性が心臓マッサージを受けて病院に運ばれているというのに、大会は無情にも続行される。この状況、あなたも納得いきますか?**何があっても止まらない大会、それこそ健康よりも重要なのか?**まるで参加者の命がただの数字に過ぎないかのように感じます。
トライアスロンは確かに挑戦的なスポーツですが、こんな危険を予見できたはず。それなのに大会は続けられる。「スポーツマンシップ」や「挑戦」は美しい言葉ですが、ただの言葉だけでは人は救われない。安全が確保されない大会は、まるで命のロシアンルーレットではありませんか?
トライアスロン大会は、究極のチャレンジを提供する場であるべきですが、同時に参加者が安心して挑戦できる環境を提供する責任も伴うはずです。記録が価値を持つのは、無事にゴールできてこそ。あなたのアドレナリンが誰かの命になってはいけない。
結局、スポーツの真の価値とは何か、私たちはどこで線を引くべきなのか?これが問われるべき時ではないでしょうか。
ネットからのコメント
1、年齢関係なしに、こう言った事は普通にあり得ます。
過度の緊張や、疲れなどから、若い人でもありえる事故です。もちろん、年齢が上になればそのリスクは比例して上がりますけど、年齢だけが原因ではないと思います。しかも、こう言ったレースに出場する方は、皆んな普段からレースに向けてトレーニングをしています。そこで、今回は無理そう。とか、何とかなりそう。とか、判断しているはずです。そこに年齢はあまり関係ないと思います。年齢相応の判断はしているはずなのでね。それよりも、レース中の事故にちゃんと対応して、準備していた部隊の人達に感謝ですね。
2、家族が、この米子でのトライアスロン大会出たことがあります。まず、東京からの移動だけで疲れると思う。その上、この天候でしょう。60代にはしんどい。助かって本当に良かったと思う。
3、私もトライアスリートで、来年の皆生トライアスロンの参加を目標としてる者です。この暑さや外海ということでの波の高さなど考えると、始めのスイム一番緊張します。なんとか助かって欲しいという思いでいっぱいです。ただ、毎度の事ながら倒れられた方に野次馬根性で集まる取材陣には腹が立ちます。写真も含めて取材の在り方を考え直されたほうが宜しいのでは??
4、三十年程前、トライアスロンに嵌ってました。琵琶湖の大会に二度、宮古島の大会には三度出ました。三度目の宮古島大会を出るにあたり録った負荷心電図で、不整脈が見られるから、もう考えた方が良いと医師に言われ、三度目の宮古島でトライアスロンから引退。
上位を目指すのではなく、宮古島の自然を楽しみながら、泳いで、サイクリングして、走り、制限時間内に完走する。それを目標にしたら、トライアスロンの別の楽しさが見えました。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/46c372dd39a8cdfb62adee6373006b5e233aca07,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]