「令和の若者には理解不能な時代」と題するこの記事、まさにタイムカプセルの中身をぶちまけたような印象だ。しかし「教師に殴られるのが当たり前」の時代を振り返ることが、果たして今の私たちにとって本当に価値があるのだろうか。教師の暴力が「愛のビンタ」などと称された時代を懐かしむことが、どれだけの美徳なのか、正直疑問に思わざるを得ない。
もちろん、その当時の人々にとってはそれが「普通」だったかもしれない。しかし、時が経ち、教育のあり方が変わった今、その「普通さ」を美化する必要は全くない。私たちは過去に学び、そこから進化していくべき存在であるはずなのに、進化を拒むこの懐古主義はいかがなものか。
さらに、この記事で語られる「伝説の教師たち」のエピソードには、現代の観点からは全く理解に苦しむものが多い。暴力を奨励するような教育が、ひたすらに時代を超えて正当化されることは許されない。たとえそれがどんなに興味深い「昔話」として伝えられようとも、私たちの未来の教育には全く寄与しないのではないだろうか。
過去は過去として尊重しつつも、未来を築くために何を取捨選択すべきかを考えることこそが我々の責任だ。歴史は変えられないが、歴史観は変えられるのだから。
ネットからのコメント
1、昔の先生像について触れて肯定的な意見を述べると体罰容認か、と始まるからしない。ただ、今の時代、子供の頃から大人になるまでこれだけ怒られない、責められない、強制されない、で育つ状況下で、子供本人の意識が高く、モチベーションに満ちていて、他者への配慮も行き届く、そんな人間性が自然と育まれるなんて、あるのかな?と考えてしまいますね。自分みたいに悔しい、情けない、痛い思いを何度もしながら、今度こそは繰り返さないぞ、失敗しないぞ、と言い聞かせて今日まで来た愚か者には想像もつかないですね。
2、ん、年取るとわからんでもない。自分より何十と下の奴に逆らわれたり、舐めた態度や口をきかれたら苛立つよな。しかも、受け持ちが40人位となると大変だ。しかし、私の知る限り本気で殴る先生はいなかったと思います。何度注意されても改善しない時、「お前ら、ちょっと来い!」「バカタレっ!」とか言いながらゲンコツ落とすくらい。チョーク投げるのもそれほどダメージにならないのを分かって投げてくる。そりゃ、良いとは言えないがそこまでかなとも思います。自分たちが悪いことをしているとわかっているから仕方ないと思っていました。一概に全て悪い行為とも思えないのが、昔の先生と生徒の関係でした。
3、宿題とか教科書忘れた生徒は、授業始まる前に順番に先生からビンタとかげんこつをくらった。今では理解不能とか言われるが、忘れ物しなければ別にくらう事はないし恐れる事はない。
次から忘れないように気をつけようという気持ちが芽生える。今の時代そういう事がないから、忘れても何のペナルティもないし、生徒も「忘れちゃった。ハハ(笑)」って舐めてしまう。大人になって社会に免疫持たないまま、仕事すぐ辞めたり結局自分で自分の首絞める顛末になる事を悟るタイミングを逃してしまうんだろうね。逆に哀れに思う。
4、なんか面白い記事でした。ちなみに昭和なんで、出席簿の角で頭叩かれるとかチョーク飛んでくるとか、部活顧問にビンタされるとか、男子雨の中一列に並ばされて熱血教師が端から1人ずつビンタして行くとかいうスポ根ドラマみたいなシーンもありましたね。過ぎてみるとそれがあったから今があるというか、そういう理不尽な経験もあるから就職氷河期世代は粛々と理不尽な世の中を耐えて生き抜くことができたのかも。今の子よりは少なくとも理不尽への耐性はある気がする。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/a4cfe5e8f70c5caa7c618a4c9d65aa5fc8d08378,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]