岩佐まりさんの話を読みながら、まるで人生が試練の連続であるかのように感じざるを得ません。彼女は若年性認知症の母親を20年以上支え続け、さらに子育てまで両立させる“ダブルケアラー”として日々奮闘しています。しかし、どんなに心優しい人でも、これが「幸せ」とは言い切れませんよね。
「自分の時間を優先しよう」という言葉がどれほど難しいか! 一見、自己犠牲が美徳とされるこの社会で、一つの人間としての限界を超えることを強いるのはあまりにも残酷です。幸せな家庭のモデルが「完璧な介護者」のイメージに固執するのは、もうやめにしませんか?
彼女が自身の時間を持てるようになったのは、ショートステイという選択肢を受け入れた時から。この“選択”がもっと早く広まっていれば、どれだけの人が救われたことでしょう。「息抜きは贅沢ではなく、生き延びるための必要条件なのだ」と言い切りたい。
結局のところ、誰が何と言おうと、介護も育児も“シェア”できることをもっと広めるべきです。限界を超えた先に見えるのは幸福ではなくて、ただの崩壊です。「今、私たちが築くべきは、負担を分かち合って共に歩む社会なのだ」と言える時は来るのでしょうか?
ネットからのコメント
1、私は介護職で両親とも仲が良いけれど、仕事で他人でお給料が出るから優しく介護ができるのであって、そうじゃない自宅で無償で親族の介護ができる人を尊敬します。20年は本当に大変。お母さんは幸せだと思います。私は多分、両親が認知症になったらすぐに施設に入れるし、嚥下が弱っても胃瘻はしないで点滴で静かに終わらせると思う。非情かもしれないその判断を冷静に下したいと思います。
2、介護医療院に現在母が入居しています。ここまで辿り着くのが、本当に大変でした。介護って、なってみて初めてその苦労や、簡単に施設に入れないことを学びます。お金が沢山あれば、民間の施設に入れますが、うちの親の預貯金は500万くらいで、父も入退院を繰り返していたし、いわゆる民間の生命保険にも入っていなかった為、預貯金はみるみる減って行きました。初めは心不全で入院、その後要介護4になり、一旦老健に入居、そこでまた心不全を起こし、以前入院していた病院とは別の病院へ緊急搬送。一時危険だったが持ち直し、退院してくれと…遠距離介護なので、自宅介護は無理で、父の面倒もあり、母を受け入れてくれる中規模の病院をケアマネさんと探し転院。一時的な入院なので、その先の施設を探すのに苦労し、やっと今の施設へ。月15万位の支払で、10万を私が負担してます。父は現在入院中。先が見えません。
3、この方のやり方がベスト、とは思わない。
いろんな家族にはいろんな問題がありまた選択がある。私は延命治療は反対する考え方。チューブをつないで命を長くするのはやはり意志があるうちに本人に確認しておきたいこと。何もできず食べることもできないまま生命だけ維持している方を見ると胸が痛くなる思いでした。人が生きるっていう尊厳は自分だったら延命治療は拒否したい。介護はいろんな考え方が存在すると思う。
4、神経内科の先生が、認知症の出方には、その人が歩んできた人生が出ると言っていました。徘徊は若い頃逃げたいことから逃げずに我慢した証、暴言は言いたいことを飲み込んで頑張った証、認知症になって初めて本当にその人を理解することができます、と言っていました。なるほど…。家族のために頑張ってきた証かぁと思うと前向きになる言葉だと気付かされました。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/09b132f6b79f2232f75ae49b050f489972f5e4c7,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]