タイトルが「“推し活化”する有権者たち」なんて、すでに頭を抱えたくなる。選挙が推し活?いったいこの国の選挙はどうなってるんだ。誰が一番かわいいかを決める大会ならまだしも、国の未来を左右する選挙が推し活に例えられるとは、もう末期症状もいいところだ。
しかし、ここで問題なのは実は有権者の情報リテラシーの低さにある。この世代は、真偽不明の情報で溢れかえるSNSに頼るあまり、自分で情報を精査する力を失っている。本当かどうかも分からない情報を鵜呑みにし、それが心地良ければ即座に信じ込んでしまう。これは猛烈に危険な状態だ。
さらに、デジタルメディアの進化により、フィルターバブルが形成され、エコーチェンバーが生まれるという負のスパイラルが加速している。偏った情報を浴び続ければ、視野はどんどん狭くなり、異なる意見に耳を傾ける余地は少なくなる。
では、解決策は何か。久保田氏が言うように、オールドメディアを活用することだ。新聞や紙媒体はその性質上、アルゴリズムの介入を受けない。多様な情報に触れることで、セレンディピティが発生し、情報リテラシーが育まれるのだ。
この状況下で、子供たちにデジタルデトックスさせ、アナログな経験を通して情報判断力を培うのはもう一つの選択肢だ。
ジョブズが子供たちにテクノロジーを制限した話は、実に興味深い。
最後に一言。選挙を推し活にする前に、本当に推し活に値する候補者を、情報リテラシーを駆使して見極める努力をしよう。善悪の判断を他人任せにする時点で、すでに大事なものを見失っている。
ネットからのコメント
1、ネットの世界では見たいものが見れて、聞きたい情報が聞こえてくる。オールドメディアは発信者が発信したいことだけを発信し、発信したくないことは私たちは知らないまま。ネットの情報空間がなければ外免切替や外国人への生活保護、留学生への過度な支援を知ることはなかった。記事では何が伝えたいのかがわからない。
2、SNSもデマが有るけど、かと言ってテレビをはじめマスコミのデマもとにかく酷い。未だに反省はおろかむしろ開き直っているし、とある週刊誌には当時の安倍首相の人格否定『人間の✕✕』呼ばわりして当時の国会答弁で話題になった。(議場内は大爆笑に包まれて終わったが)ただ、政治信念や己の考えと相違すればデマ呼ばわりするのは一番良くないこと。正しい答えはないから国民はそこは何がベターなのかよく考えて選挙に行かないとダメだと思います。
3、やはり問題は「教育」だろう。例えばデマゴーグを利用したポピュリズムの煽動政治は紀元前の古代ギリシャに既にあった。人類は2000年以上同じ手口に引掛かり、同じ過ちを繰り返している。そうした事実を知らない者は「これはあの時と同じだ」と気がつけない。
こうした危機感の薄い人間は政治だけではなく、犯罪や詐欺に巻き込まれたり、被害者にもなりえる。過去から学ばない人間はやはり愚かとしか言いようがない。リテラシーは教育と密接な関係にあると思っている。
4、オールドメディアは発信する側の意図が色濃く出るし、報道しない自由といった意味不明な自由があるらしいから、鵜呑みしたらダメ。ネットは賛成反対の両方の言い分をみれば、間違いは減らせる。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/4585506e1db66e12d1b5c0b85d14219967bf925f,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]