もう、マジで何なの、この結納だの、七五三だの、全然意味がないと断言できる風習たち。カズレーザーの言っていること、100%共感するわけよ。だって、結納って何?顔合わせ?あれって、ただの「やらなきゃいけないからやってる」ただの作業じゃないのか?正月のおせちだって、冷静に考えたら保存食なんか今必要ない。冷蔵庫あるんだから、そんなもの。
本当に意味を求めるなら、ほとんどの風習は消えるべきだと思う。日本の風習って「やらなきゃいけない」っていう名目があるから続いてるだけで、それがなければ誰もやらないだろうね。だって、やりたくないんだもん、だるいし。結納や七五三、ただの時間つぶしだよ、これが現実。
でもね、これに反論する人が絶対いるんだよね。何でかって?人間って自分で動けないから、何か理由がないと動けない生き物なんだよ。だから、こういった無意味な儀式をやっている自分に「意味がある」と言い聞かせてる。
結局、風習は面倒だけど、やらないと「何か失った気がする」から仕方なく続けてるって感じだよね。でも、もしかしたらそれが**「退屈で死ぬ」っていう現実からの逃げ道**なんじゃないのかな。
ネットからのコメント
1、七五三とかに関しては昔は短命(しかも子供のころに命を落とすことが多かった)ので成長のお祝いとして七五三をしていたね。
今は医療も進んでるから昔みたいにってことはないけれども、親の立場としてはやっぱり子供の成長を祝いたいし、大きくなったなって感じたいて意味ではすることに意味はあるのかなって思うよ。子ども達もいつも着ないような着物を着て楽しかったようで、それも記憶にあるし嬉しい感情として心に残ってくれてあるならやっぱり意味はあったんだと私は思ってるかな。それも暇だからやってるのかもしれないけど、風習を残すっていうのは良いと思うけどな。
2、七五三は惰性と言うより親心だと思います。子供周りのことは子供が居ない方には理解しにくい行事が沢山あると思いますが、やってあげたい気持ちを大切にすることも大切かと思います。我が家も、結婚式とか結婚指輪とかはいらないと思ってスルーしてきましたが、お食い初めや七五三やお宮参りはしっかりやっています。
3、昔の風習が現代と合わなくなってきてるのは事実。今とは比べものにならないくらい乳児幼児の死亡率が高く、医療も未発達な時代に子供たちの成長を祝い、長寿と幸福を祝うというのが七五三の起源。結納も家と家の繋がりを重視する当時の風習。結納を貰い、嫁入り道具は豪奢な物が多かった。昔から続く風習には健康、長寿等を願う事が起源の物が多い。元を辿るとやはり乳児幼児大人まで死亡率が高かった事や常に飢饉と隣り合わせだった事が第一なってると思う。
4、結納は今となってはだいぶ意味が薄れていると思いますが、七五三は暇だからというよりも、信仰のお話だと思います。
子供が健やかに育つようにお祈りをする、育ったことに対して感謝をするということを、単に暇だからということで否定することにとても違和感を持ちました。法事にしても、神社にお祈りに行くにしても、全部暇だからなのでしょうか。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/3bc0a71f3d7b8347bb8f0c1c3227d078486ca18d,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]