シダックスの創業者、志太勤さんが亡くなったというニュースを見て、まず驚いたのはその創造力と持続力だ。90歳まで企業を牽引し続けたのは、現代の「何でもすぐ飽きる」時代への痛烈なアンチテーゼのように感じる。彼は1959年に富士給食という名前でスタートし、新宿住友ビルでは日本初の高層ビル内カフェテリアを運営した。これはただの給食事業ではなく、まるで日本社会の中で「食文化を再発明した」とさえ言える。これを実現したリーダーシップ、今の企業家にどれだけ伝わるのだろうか?
志太さんの経歴を見ると、カラオケ店の展開や社会人野球チームの設立など、**「常に新しい挑戦を求め続けた大人の冒険者」**というイメージが浮かび上がる。この姿勢は、ビジネスとはただ利益を追求するだけでなく、どう楽しむか、どう社会に貢献するかを問うべきことを示している。
彼の死去は大きな損失だが、彼の生き様から学び取れるのは**「人生は一度の冒険であり、安定は停滞だ」**という金言ではないだろうか。現代の私たちにとって、志太さんの生き方はどのような示唆を与えているのか、考えるべきポイントはたくさんある。
ネットからのコメント
1、元々は食堂から始まったというのは知っていたけど、創業者が志太さんだからシダックスだったのか。
カラオケをやっていたときよくランチタイムに行ってた。フードは結構美味しかったし、気分転換にちょうどよかった。
2、もうシダックス無くなってるの知らなかった。高校生の時によく使ってた。他大学に遊びに行った時に、学食がシダックスで、安価だけどバランスの良いメニューでとても良く、うちの大学にも入って欲しいと思ったものだった。私にとってシダックスは楽しい思い出のある青春の1ページです。良いサービス提供をありがとうございました。
3、シダックスといえば野球部の野村監督ですよね。エース野間口を筆頭にキューバ代表の主砲であるキンデラン・パチェコなどプロ野球でも通用するメンバーが大勢いました。知略と金属バットの火力を遺憾なく発揮して東京ガスのエース内海投手を攻略し、都市対抗の優勝目前まで勝ち進みました。そんなチームの大親分だったのが志太会長。当時先細りが急速に進んだ企業スポーツに光を灯していただきありがとうございました。
4、20年ほど前、坂の上の裏通りのお店で何度もご一緒しました。名前は伺ってたのですが、後になって志太社長と知ってとても驚きました。気さくな方でした。親子以上に年の離れた若造の私でも親身にお話を聞いてくださりました。熱いアドバイスが今の私の血肉となっています。訃報にふれ、当時頂いた色々なお話を思い返しております。ご冥福をお祈りいたします。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/a8e3f445fd8bca32c588f2893ca5ac30257e385b,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]